重要なことに気づいたので書いておかないと…。
私がキーボードで バッハ(神)の曲を弾くのは、「演奏」ではなく「鑑賞」なのだと。「分析」でも「学習」でもなく、「鑑賞」。曲をよりいっそう深く味わうために、自分の指を使って音楽を再生して、それを鑑賞していると。
だから演奏技法とか感情表現とか必要ないんだわ。
曲をありのままに味わいたい。曲の素のありように付加的なものをつけたくない。そのものを純粋に鑑賞したい。そういうことなのかと。
一声ずつバラしているのも、練習のためではなく鑑賞のためである!!! だから上達したっていうより、曲をより深く聴けたって方が感動が大きい。上達したって感じた時の喜びは、「曲の再生能力が上がった」=「鑑賞するのに有利」ってことだと思う。能力の向上を喜んでいるのではなく。
自分で演奏する意味。自分の気に入ったように再生できる。分解して味わうこともできる。
2手で3声を再生すると、技術不足でイマイチに…。技術を向上させる意義はこの辺にある。けど限界もあり。いずれ小さめの鍵盤も試してみたい。
要するに、私の脳と指がオーディオ・マシンだと!! 自在に再生できるマシーンになれ!! 技術向上、練習の意義もここにあり。
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