図書館の本、『アンのオルガン上達法』(アン・マースデン・トーマス/著、聖公会出版/刊)、再読。特に参考になることはなかった。自分で気ままにやるのがいいと思った。感想はだいたい去年と同じ。私がやってるのはキーボード演奏であって、実際のオルガンとはあんま関係なし。 パイプオルガンの音色で弾いているとはいえ、あくまでもキーボード、他の楽器いっしょくたのカテゴリー。
◆この話題について書いた過去の記事
2023-04-29:バロック時代の楽器と現代楽器の違い|ピアノでバッハを弾くこと|キーボードでバッハを演奏することの意味
音楽業界の通説・定説が本当なのか?という…。信憑性にあんま信頼を置いていない。例えば「バロック時代のオルガン演奏はノンレガートが標準だった」ってやつとか。オルガン奏法の本を何冊か読んだら、どの本にもこう書いてあったんだけど、ホントなのかなあ~~。ただ単に、バロック時代の楽譜にはスラーが書かれていないから、ノンレガートって決めつけているだけのような気がする。
バッハ先生のあの深遠な曲を、ブツブツ切って弾いていいわけないような…。実際、YouTubeでオルガン演奏聴くと、ブツ切りの演奏より、レガートで弾いた演奏の方が重厚で美しいもの!! オルガン演奏法の本を読むと、ノンレガートの根拠がどこにも書かれていない。ホントにそうだったの?
実際、手元にあるのは18世紀の人が書いた楽譜(もしくはその写本)だけで、それと自分とキーボードと、それしか存在していない。あとの知識・情報・文化的なものって、確固とした根拠がない。あやふやな感じのものである。 謎の伝統とか文化とかあるけど徒弟制の賜物で、根拠は薄弱だったりする。
楽譜には音符しか書かれていないよ!! それをその通りに弾く派である!! 自動演奏でいいって思ってるからな。 解釈とか表現とかって、想像でやってるに過ぎないよね? 何が正しい、ってないんだと思う。
自分の求めるものを目指すのがいいよね。 こう、本を読むのに似てるかもしんない。読書について、読者個人の表現とかってないよね? ただ読んで受け取って終わりだよね。感想を抱いたりするけど、それをアピールしたりしないよね。そんな感じである…。楽譜を読み取るために、鍵盤で弾いてみているのである!
読書で言うと、「黙読」では意味が取れないので「音読」をしているのと同じ。本の内容を知りたいだけ。「人に聴かせる」「朗読する」ってのとは違う。
料理を味わうのと一緒。個人的。料理の評論家やリポーターは、料理の内容を人に伝える。私のは、ただ自分で料理を味わってそれで終わり。誰かにそれを伝えたりはしない。
人の演奏を聴くのは、料理を食べた人が感想を言ったり説明するのを聞くのと同じ。自分では食べていない。実際に食べていないので味はわからないが、人の感想や説明を聞いて、料理の味を想像する。
自分で演奏することの幸せ。その曲の良さを自分で味わうことができる。
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