聴く人のための曲? 弾く人のための? まず楽譜ありき?
「平均律クラヴィーア曲集」は弾く人のためのものだと序文にはっきり書いてある。「シンフォニア1」の楽譜見ると、よくもここまでテーマ詰め込んだなと。シャイベって人が批判したみたいに、複雑すぎて耳には旋律線が捉えきれないのでは?ってくらい。
楽譜見て初めて見えてくるものが……それは私が凡人だからってことなのかもしれないが、いろんな曲の楽譜見てると、これって耳100%に頼ってはいけないのでは? むしろ始めに楽譜ありきなのでは? これは演奏する人が構造を楽しむためのものなのでは??と思ったりする。
「平均律クラヴィーア曲集」は、序文に「演奏する人・学習する人のためのもの」ってはっきり書いてあるし、「インベンション」「シンフォニア」も「奏者・作曲者のため」ってなってるしな。教材なんだよね。
当時はオーディオなんてないわけだし……クラヴィコードなんか人に聴かせるもんじゃないし(音が小さすぎて)。耳で聴いて覚えるっていうよりは、楽譜を見て曲を知ることになる。初めに楽譜ありき、なのかと?
シンフォニアは指の訓練のため、教育用にするため、芸術性の方を犠牲にした感じあるよなと思っていたが、「シンフォニア1」多重録音の管楽三重奏を聴いたら、何、あの芸術性の高さは!? 驚いてしまう。
3声のリチェルカーレ(BWV1079)
寝る前、音源聴きながら楽譜たどるのを1声部ごと2~3回ずつやったら、スムーズにたどれるようになった。しかし、途中あまりにも旋律がすばらしすぎて、うるっと来てこれ以上はムリ! 胸がいっぱいになってもうムリ!!
この曲が比較的単純な構造しているのは、バッハ先生が即興で考え出したからでは? じゃ、神ではなく人間バッハが作ったの?などと考えたりしたこともあったが、それは違う。
神!が作曲したに違いないが、人間が即興で演奏しなければならないので、技術的には手加減しているが、芸術性の方は極まって高い。こっちは手加減なし! やっぱ、これは神が作った以外にないと…。
この曲見てて思うのは、芸術性の高さと構造の複雑さって相関しないんだなと。構造が単純なものでも、ここまで芸術性が高いものを作れるのかと愕然とする!!
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